旅人という“部外者”

私の旅は基本的に一人だ。 

観光地には対して興味がない。
なんとなく、そこが人生で経験したことの無いような場所で、距離的にも精神的にも遠いような好き。

どうしてそんな旅が好きなのだろうか。
好きなだけ自分と対話し、好きなように判断して歩き回ることができるからだろうか。
それも一つの理由な気もするが、今ひとつしっかりと納得できていない。

今日、もう少し納得できる理由に気づけたかもしれない。

旅をしている“旅人”は部外者だ。
その感覚が好きなんじゃないだろうか、ということ。

そこに自分が属していないという意識は、特に一人旅では顕著に、自分が観察者であるという意識を強く持たせる。

それは、自分と自分の感情を切り離すメタ認知と構造が同じである。メタ認知することで、人は感情を客観視して、落ち着きを取り戻すことができる。

構造は同じであるが、なんというか、スケールが違う。

メタ認知は自分の内部の話だった事が、旅人としての部外者は、自分とそれ以外というわかりやすい境界線で常に観察者として居続けられてしまう。

そしてメタ認知と、旅人として観察する気持ちはどちらもとても心地よい。

それは人生とは体験するものではなく、観察するものであるということなのかもしれないという気持ちにさせてくれる。だから気持ちが良いのだろう。

何かと苦しい人生も、苦しみを体験するものではなく、観察者として居続けてしまえば、こんなに全てが心地よくなる。

そんな感覚にさせてくれるから、旅がすきなのかもしれない。

本当に人生が観察するものだとしたら、私の言葉はなんの意味を持つのだろうか。

まるで自分の存在を肯定するための言い訳でしかないような気がする。

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