嫌悪感と不快感

アートや文学作品を見ていると、時に激しい嫌悪感を感じることがある。

人がグロテスクに死ぬとか、強烈な高周波の音とか、パッとしない終わり方や展開、歴史的な暗い事実を取り入れたり、よく分からない生物のような絵を見たとき。

アートが必ずしも人をポジティブな方向に持っていく為にあるものとは限らない。例えそれが、ネガティブな方向へ、嫌悪感を感じる方向へ持っていっても、それは人々の心を豊かにする。嫌悪感などを抱かせるようなネガティブな手法を使っても、アートの目的が問題提起ならば、非常に有効な手段だと思う。

私はそんな強烈な嫌悪感を与えてくれる作品が好きだ。自分の中で、新しいこと考えるきっかけを与えてくれるし、強烈なイメージは圧倒的な世界観を見せてくれる。きっと私が今の音楽にはまったのも、この聞きなれない不快感という具体的な要素が”独特の世界観”という言葉でしか表現できないものになったんだろうなと思う。

しかしこのような表現をあまり大きな声で、それを提示することは果たしていいことだろうか。

表現の不自由を嫌悪感と不快感を使って多くの人の目に留まる場所に置くというのは、確かにアートを問題提起として使っている点では正しいのだが、嫌悪感や不快感を大きく抱いてしまう。

これって、人間知の心理学を学んでいるときの姿勢と同じだ。人間知の科学を人に話すときは、十分な注意をしても、相手を不快感や嫌悪感を抱かせてしまう。場合によっては強烈な傷を負わせてしまう。だから、謙虚に学び続けることを強いられる学問であるとアルフレッド・アドラーは言う。

アートで人に強烈な何かを伝えたいならば、謙虚であり続けなければならないのかな。

それでもいいや、私は音楽を作ることが、表現する過程が本当に楽しい。謙虚に、自分の中にある感情を大きな不快感と嫌悪感で表現してみたいな。

誰に聞かれるなどと考えずに、自分の中にある感情を分析して、濾したコーヒーのように、なめらかな、生き物のような音楽を作る場所が欲しいと思った。

いいかねPaletteでよく飲みに行くTasCoffeeは、ネルドリップコーヒーだ。布で濾してある。

いいね、そんなじっくりと作り上げた音楽を味わってみたい。もうyoxtellarじゃできないかもな。

新名義、Nheld Rip(ネルドリップ)なんて名前はどうだろうか。

コーヒーを飲みながらぼんやりと思い浮かんだ名前がそれだった。

 

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