絶望の反芻をやめて、自分を見るために

自分を見ないようにする方法?

反芻して、何度も絶望を味わえば良い。

自分と向き合うのが怖いから、過去の絶望に浸って反芻して、自己愛に浸っていたら良い。

そうしたら苦しくないからね。

でも、それじゃあいつまで経っても自分は見えてこなくて、身体はドンドン硬くなって行く。

どうすれば、おいしい絶望の反芻を辞めて、前を向いて自分と向き合う苦しみに立ち向かえるでしょうか?

酷い場合はその反芻が良くない事、反芻であることを自覚していても抜け出せなくなります。

どうすれば反芻して自己愛に浸ることを止めることができるのか、最近心理学の本などかた調べ、実際に取り組んでいる事を自分のためにもまとめておこうと思います。


解決策


強烈な反芻は、Whyを考え続けてしまうとより深くなります。

なぜなら、Whyの答えは抽象的であるからです。

「こんなにネガティブなのは何故…?あ、子供のとき、そのような価値観で育てられた事が多々あった気がするな。ああ、何故、何故、どうしようもない」

Whyは物事抽象化したりより深く疑問をもつ為には非常によく働きます。

「りんごは何故、下に落ちるのか。ん?だれかが引っ張っているからか…?だとしたら何故見えないのだろうか…ああっ!」

科学者などはよく使いますが、自己省察においてはマイナスです。


具体的な対策は「Whyで物事を訪ね、Whatで自分に尋ねましょう。」です。

Whatで尋ねると…

「何が私をこんなにネガティヴにさせるのだろうか…あっ、人から否定される事が怖いからか?いや、そもそもこの環境が、周りの人々の影響を受けているのではないか。

だとしたら、環境を変えたら、変われるかもしれない。」

Whatは物事を具体化する働きがあります。

具体的な対策を自然に考えることになるため、反芻から抜け出しやすいです。


反芻していることすら気付かない場合


反芻の癖が強い人(私も特にそうです)は、WhyをWhatに!どころではないです。

反芻してしまったことを日記として付けたり、私の場合はブログやNoteに書いて残したりする対策がおススメです。

できるだけその反芻した状況を思い出せるように残すことで、自分がどんな環境で、誰と話しているときに、どんな体調のときに、反芻をしてしまうのかが見えてきます。


絶望を吸い続けることはおいしいですが、どこかで爆発して壊れてしまいますから、反芻をやめて自分を見る時間を大切にしていきたいです。

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