僕らはなにかを信じたい

今からしばらくは随想を書きたい時期に入りそう。


僕らは何かを信じたいし、信じるべきだと思う。なぜなら、信じていたら一人で苦しまなくて済むことがあるから。

あ、これは宗教の勧誘などではなく、ただ、誰かを信じたり、考え方を信じたりする事、大事だよねというだけの話。

宗教などではわかりやすく「信じていれば救われる」という。それは信じているから、苦しみという一人部屋で、一人ではないよと言ってくれると感じるんじゃないかな。

科学は信じる事で生きやすくなる。りんごが落ちるのは重力だし、空気は目に見えないけど存在するし。うまく活用して生活を便利に。

家族も、絶対的な安心感は人を一人ではないと思わせてくれる。


信じやすさは、そのものやその人自身によって様々だが、その人にとって信じる事が簡単なものは、影響は少なく、信じる事が難しいと思っているものを信じた時、人はすごく推進力を持つと思う。

推進力を持つ、というのはそれが前か後ろかはわからないから。

一つだけを信じているとその推進力はどこに向かっているか分からず、コントロールもできずに暴れる。

だからもう一つ信じてみると、両輪で左右に曲がれる。

3輪になると安定感がある。

4輪になると大きいものを運べる。

生きていくということは、少しずつ、自分が信じられないと思っていたことを、真正面からぶつかってみて、自分と向き合って、信じるものを少しずつ落とし込んでいくことなんじゃないかなぁ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です