人々が事実として同じ経験をすることはあっても、その事実をどう受けるかを決めるのは自分次第。
受け取り方次第で今後のその経験の価値が決まっていくため、もはや経験とは受動的ではなくて全て能動的に作るものだ。
経験を作るものだとしたら、受け取り方はどのように決まるのか?
それは、人は目的を達成するために、その経験を使う。
わかりやすいものは、失敗から学び、次に活かすような経験をして受け取る。
しかしそんな受け取り方はなかなか簡単ではない。
大抵は、それを原因と捉え、あれをしたからダメだった、責任の押し付け、そして無意識のレベルで失敗を自らしにいくこともある。
それは、恋愛において失敗し続ける人にも見られる。
恋愛がうまくいかなかったのは、相手のこのようなところに問題がある。人が変わればうまくいく。
そうやって経験を作ってしまうと肝心な「これから自分はどうするか」考えずに済む。
するとまた同じ失敗をする。そしたら人は「また人が悪かった」という。
これの真の目的は「人が良かったらうまくいくのである」という可能性を残しておきたいというところによる。こうなってくると自ら失敗していくことが目標達成につながる。
人は完璧になんてなれないが、人生をより良くしたいと思うことはできる。
ふと気づいたときに振り返ること、知識を付けること、一歩踏み出すこと、ならできる。
僕も一歩ずつ初めて地上を歩くように歩む。
「人は歩み方を変えずに、自分の体験を歩み方に合うように歪めてしまう」