最近の楽しみは、本を読むことと、人と話すこと。
人とただ話すだけではなく、ラジオという形で、対談している人の中身を掘り下げていく感覚。
なんだろうか、ぼくはそういうときに「生きている」という言葉がしっくりくる気がしている。
生きる。その言葉の意味は、時代とともに変わってきているように思う。
本来、動物として「生きる」という意味だけであるならば、食べて、寝て、子孫を作ること以外は関係がないことだ。
しかし、人の生活が豊かになるにつれて「生きる」も大きく意味を変えてきたように思う。
現代、僕らは確かに今も「生きて」いるはずなのに、自分がまるで「死んでいる」のように思ってしまう人がたくさんいてしまうのだから。
もちろん、僕もそうなった経験のある一人である。
さて、最近の自分を振り返ってみると、「生きている」という感覚を取り戻してきているように思う。
ここで、「死んでいる」と思っていた時との違いについて考えてみる。
それは、自分自身について考えること、見つめること、嘘をつかないこと、をしているか否かということなんじゃないかな。
自分という一つの認識の個体が、考えていること、感じていること、それについて考える時間があった。それはすごく幸せなことだった。
自分自身について考えること、どうやったらできるのか?
その答えが、本を読むこと、人と話すことだなと気づいた。
ここで「自分自身以外についての関心じゃないか」と矛盾を感じるかもしれないが、僕はこれは鏡でも同じことが言える。
自分の目を見ようとしても鏡がないとみることはできない。
そのように、本や人に自分を映すことで自分について考えて発見することができる。
きっかけはCOTENラジオという歴史のPodcastだった。
自分の興味のなかった歴史というジャンルを面白く伝えてくれるこの番組に、「他人を理解しようとする自分自身」がいた。
そして他人を理解しようとしている自分自身、を理解しようとした。
そうして、それこそが自分自身の表れなのだという感覚なんじゃないかと思い始めた。
そこからたくさん本を読むようになり、もっと深く人を知りたくなって、ラジオも取り始めた。
すこしずつ、自分という輪郭がつかめてきたような、しかし手を伸ばしてもまだまだ届かないような、これはたぶんすごく長い道のりだなぁと思う。
それこそが「生きる」ということなんだ。