自我執着があるから、周りを気にしたり、自分の見た目をよくしよう、自分が目立つようにしよう、自分がどれだけ優れているか見せようと、次から次へと欲が沸き起こってくる。
自我への執着が、生きづらい因子になることがよくある。
そこで、自我という認識を仮のものをする事にした。
するとすごく便利なのだ。
僕やましょーという自我は仮で、それを後でコントロールしているだけである、と認識できる。
もし物事がうまくいかなかったとき、自分の能力が足りなかったとき、自我執着があると「自分はダメなやつだ」「自分の持っていえう能力は低い」なんて思考しがちだ。
しかし仮自我ではどうだろう。
マリオみたいなもんだ。
マリオで失敗したときに「このマリオはジャンプ力が低すぎるからだめだ」なんて思うだろうか?
マリオはここまでしかジャンプできないから、それでどう切り抜けていくか?と思考するのが当然じゃなかろうか。
仮自我を置くことで、客観視点を獲得できる場合がある。ただし日常的な動作のみで、非日常的な大きなショックには訓練が必要な気もする。
仮自我としておけば改善しやすいし、何より「マリオがうれしくなることは何か」と考えて動ける。
マリオを愛でることができる。