どうして人はやめたいことを辞められないのか

僕は人生を全て投げ出すかのような思いで、てか自殺するような勢いで大学を辞めると決意できたが、どうしてこんなに辞めたいことを辞めることが難しいのか。

大学を辞めるなんて!とここで色々いいたいひとが出てきます。僕のことを思って、まじめに答えてくれるいい人ももちろんいます。

でもこれ、ぼくの課題なのです。ぼくの目的なのです。

ぼく、はこのまま大学にいても、自分の行きたい人生の方向に行くには非常に効率よくないな、ここになんとなくいる事は自分の人生に嘘ついて生きることになっちゃうから苦しいな、と思ってしまったのです。

大学を出ていたほうがいい、大学は人生における最も自由な時間だぞ、親も君を思って学費を払っているんだぞ、等は全てその人の価値観として大切なだけで、わたしはそれを否定してやると思っているわけではさらさらないのです。

たまに、人の課題に勝手に踏み込んで自分の価値観を傷つけられたとかんちがいしてしまう人がいますよね。

そうしてそれを言われたひとが、自分の課題か、相手の課題かと課題を分離できていなかったら、そうかもな、とかおもってしまいますよね。

まあでも日本人の性質なんですかね、マジョリティーに従っておかないと不安になってしまうのは。

と、おもっていたのですが、この心理を深掘りしていると、さらに重要なトラップを発見しました。

上記に挙げた、課題を分離できずに勝手に踏み込んでくる人たちがよく使うフレーズ、<大学をたった4年も続けられないなんて、そんなコロコロ変わる人生はなんの実りもないよ。それは大学が悪い、大学が合わないという話ではない。君のこころが弱いだけなんだよ。そんな日々の中にも楽しいことがあるじゃないか。探していないだけだよ。>です。

出た!これです、これが詰将棋のように感じてしまい、そうかもな、とかおもってしまうんです。

でもこの理論、ちょっと考えたらおかしいんです。

自分がおいしいたべものを探しているとします。

例えば、色々な魅力的な説明を受けて、食べたいと思った料理を食べてみたら、案外美味しくなかったというとき。

おいしーと嘘ついてお金をかけて食べ続けるでしょうか?

その料理がおいしいとかんじないのは、自分の心が弱いからだよ。もっと鍛えて、美味しいと思えるような要素を探し出そうね。と言われて納得できるでしょうか?

ここで抵抗して美味しくなさをどれだけアピールしても伝わりませんので、そもそもたべることをやめたほうが好きな食べ物見つかりそうじゃないですか?

本当にその人の目標達成のことを思っていたら、食べさせるのではなく、別の食べられそうなものを探したらいいと思うのです。

だから、今美味しくないとおもっているものを無理やりでも食べて欲しいとおもっている人は一緒の目的を持っていないように思います。

冷静に考えたら謎理論なんですが、こういうことを親などのある程度信頼を強く置いている人からいわれたりすると、色々来るものがあったりしちゃいますよね〜

この話に関しては今後ももう少し掘り下げていきます。

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