三蔵法師はなぜ旅をしたのか?
勉強したいなら、その場に止まってひたすら学べばいいのではないのか?
彼がどうしようもなくなり、街を移動し、さらに学ぶために命をかけて旅を決意した理由。
「ここにはもう学ぶものがないから」
学ぶものがないなんて本当にあるのか?
最初はそう思っていたが、徐々に分かってきた。
僕が大学を辞めた理由は「ここにはもう僕が学べるものがない」と感じたんだ。
学ぶことが学校でしかできないと思っている人も多いかもしれないが、僕はそうではないと思う。
勉強は教えてもらうものではない。
自ら学び始めてからがスタート。
そしてただ勉強するだけ、論文を書くだけ、意見をいうだけではない。
三蔵法師が旅しながら、あらゆる困難を唯識論でのりこえていったように、自分の人生で体現していくことこそが、真の学びだ。
それをわかってしまうと、大学にいることが人生の嘘になってしまう。
「もうここに学ぶものがない」
それは人生に向き合い続ける覚悟のある人の言葉。