本当に嫌なことは何か?人間の可能性と適材適所

アーティストやるぞー!作ること大好きだから!うおー!まずは音楽だ!

そういってスタートを切った今年度、その後3ヶ月で燃料切れのようになった。あれ、音楽作れない。情熱がない。向上心もない。もしかして音楽作ること嫌い?飽きた?終了?仲間はさらに向上し続けているように見える。ぼくは頑張れない。自分は向いてなかった?

そこで悩みが加速してしまう。しょうがない、音楽ではなく「デジタル」としてデジタルで何かを作る方向で新たに進めよう!ラジオ、デジタルアート、コラージュ、VR、Unity、Houdini、、、たしかに楽しい方向見えてきた。

精神が安定してきたので改めて「音楽に飽きた。情熱がない」を深掘りしてみた。よく考えると、音楽制作というより表現活動、組み合わせを変えること、ブレイクコアにすること、が好きだ。なんと、音楽としてクオリティを上げるということに関して全く興味がなかった。え!音楽家じゃないやん!

嫌なことを調べた。おそらく「音楽としての最終的な形にする調整。エンジニアリング」が一番嫌いなのだ。それ以外は大丈夫なんだけど、マジでエンジニアリングが嫌いすぎる。工程として一番嫌だ。音楽的な響きを作るための動き全般が嫌だ。衝撃だ。しかしここさえなんとかすれば逆に最高だ。

音楽友達にそれを話した。

「じゃあおれやりたい!エンジニアリング好きだから」

衝撃だった。めっちゃ嫌なことを快く引き受けてくれる、むしろやりたいからやらせてくれという人がいる。ためしにやってもらうと、ぼくの曲は生まれ変わった。信じられないほど良くなった。コツも教えてもらった。あっ、これだ。これなら、いける。確信を持った。

全部自分でやる!を諦めてみたら、適材適所という発想を得た。これは人間の可能性を大きく開く重要な思考だと確信した。

今日はとっても良い日だった。

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