不足と充足

海外経験が無いから海外へいこう。お金がないから稼ごう。技術がないから勉強しよう。

まだ無いと思っているから手に入れたくなる。手に入れたとおもったらもう不足ゲームは終わる。

いつまでもがむしゃらに走りつづけていたけど、どこからか少しずつゆっくりと歩くようになってきた。方向をランダムから向き合うべき問題や進みたい方向へ向けるとゆっくり一歩ずつになっていったように思う。

気がついたら、僕は理想だと思っていた生活を手に入れていた。僕の限られた知識の中で最も良いだろうと想定していた状況に、自分の身を置くことができた。日常の中に充足を感じることが増えた。不足を追いかけることが苦しくて嫌になってきていた。

充足を感じることができるというのは本当に素晴らしいことだと知った。健康でご飯が美味しくて人とコミュニケーションを取って生活や仕事をすることがとても有難いことだと感じた。

あれが無いこれが無いとあたふたと走り回っていた時を恥ずかしく思うことが増えた。

でもその充足もまた、疲れてくるのだ。充足とは不足があってこそ成り立つ。最初からケーキしか食っていない人はもはやケーキで充足を感じることはできない。

充足に慣れて、また次の「もっと理想の環境を作りたい」「より安全に過ごしたい」「より良い音を作りたい」という不足に目が行くようになってきた。でも充足に居座りすぎて、過去を恥ずかしく思ったり「不足は疲れる、良くない」なんて信じていて、どうも自分の中にある不足の感情を認められない状態になっていたように思う。

原理的に、今この場所で充足を見つけ続けることができたら、永遠に幸せになれるんじゃ無いかなんて思っていた。でも、これはちょっと違う。

結局不足より充足が良いなんてことはない。充足より不足がいいという事もない。その不足と充足を行き来する動きが、その揺れている間がとっても楽しい。そこにはたくさんの経験のチャンスがある。

もしこの世界にきた理由が「たくさん経験して遊ぶこと」だとしたら、どんどん揺れていいと思う。

大丈夫だと、思いたい。