過去の自分の言葉から指南を受けてみる
- 2022.07.25
- 日常雑記
久々にブログを読み返していたら、本当にいい言葉がたくさん、今を生きている過去の自分にたくさん出会えたので、ここに呼び出して、今の自分を叱ってもらおうと思いました。
- 2019.06.19、
文章を書くのは恥ずかしい
挑戦することとは恥をかくことだと思います。
本当にドキッとする言葉です。今、理想としていた生活ができてる!なんて思ってる自分、本当に挑戦がないです。今やりたいことをやりつつも、もっと新しいことをやっていこう。
- 2019.06.17
- 初対面で話せなくて普通
なぜなら大昔、人間が狩猟で生活していた時はそもそも自分達の所属するコミュニティー外の人と接触する事がほとんどなく、必要のない事であったはずです。それどころか、警戒せずに話しかけて、殺されたりもするかも知れません。
(追記)適当な事を言っていたら指摘していただきました!警戒心が生まれたのは狩猟民族ではなく、農耕民族以降の話でした。
堂々と間違え、それをそのまま残し、追記している。間違えたくない、何も言いたくないと思いながら音楽を作っている今の自分に、とても響きました。
- 2019.06.13
ワクワクベクトル→
たくさんの面白い人と出会い、自分の常識や殻がドンドン破壊されて、毎日が変わっていく…ような気がするだけで、実際は自分のことが分からなくなっていくようにも思えました。
人と関わる事によって、最も苦しい、自分と向き合うことをしなくなってしまっていく。
自分が今何を感じてるかを一番大事に考える事ができなくなると、自分が何だか分からなくなっちゃう。
新しい人にとことん会うだけのワクワクに頼っていても、楽な方に流れていく事があり、気づけば取り返しの付かない事になっているかもしれない。
一つのことに真剣に向かい合っている事の方が確かにとても苦痛だ。でもその時間は確かに自分と向き合っているように思う。
この時の悩みって、どんどん人と会って、いろんなことすると同時に自分がわからなくなってるということだったんだ。今はむしろ逆で、ひたすら自分と向き合いすぎてしんどいからたくさんの人と会いたいですよ。自分と向き合った分、自分のやりたいことに打ち込めたのはとても良かったんですけどね。
そうか、自分はこの時期ことをいつしか「とても恥ずかしい時期」のように思うようになっていたが、この時期はこの時期でとても大切で必要な時間だったんだ。ここで広げた世界があるから、今の自分の人生がある。それを思い出しました。そしてまた、少しづつこの時のエネルギーを取り込んでいきたいと思っています。
わぁ〜〜僕にはまだまだ沢山の自分と向き合う余地がありそうです。
この言葉に今、救われました。自分と向き合う余地は今でもまだまだ山盛りでありますので、ワクワクする気持ちで向かい合えそうです!
- 2019.06.03
死
こちらもう画像やらタイトルやら尖りすぎやろ!と思いますがとにかく知り合いでも知らん人でもなんでもいいから自分の文章を読んでほしいと思っていたことを記憶しています。恥ずかしいけど、挑戦しててめちゃくちゃかっこいいっす。
人生が無限にあるんやったらいつか自分の好きな事出来る時間作っちゃえばいいけど 人生はほんの少ししかない上にいつ終わるか分からないから “無限に出来る好きな事”や“いつかやりたい事”を有限の人生の中でいかにたくさん出来るかよく考えないといつのまにか何もできなくなって終わってしまいそうだ
まあこの時期はちょっと躁状態で生き急いでいたので、今でもちょっと生き急ぎすぎやろと思うところはあるのですが、今は生き急がなすぎるところがあるのでこの考えは素直に取り入れたいです。無限にできる好きなこと、やれる環境になったら案外、一日一時間くらいで良い!ってなってる自分がいて、でも、そのほかにやりたいことでまだ手を出してないことはいっぱいあると思うのでまた色々やっていきたいですね。
ふーちょっと、昔の文章を読み返すのはカロリー高すぎるですね。一旦今日はここまでにして、明日以降また振り返りして行こうと思います(意外と楽しい)
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