6/14 追記
なんだか色々な誤解を招く表現だらけと気づいたので急いで修正してみました。言葉で表すことが下手すぎるのでうまい表現が見つからないけど、頑張りました。
ワクワクするところに行って、色々な面白い人の話を聞くのは面白い。
ワクワクする本を買ってたくさん読むことは面白い。
ワクワクすることになりふり構わず飛びつきまくってたのは去年の話。でもこれって本当に良いことだったのかな?
今日何となくわかったことがあるので忘れんようにメモしときます。
ワクワクは最強なのか、僕は去年は面白いと聞いたらとにかくどこでも行くぜ、という事をしていました。
知的好奇心が止まらなくて、とにかくがっついてなんでもやります行きます言ってました。ワクワクするけどベクトルはめちゃくちゃバラバラだったような…
結論から言うと、それはある程度までは面白いが、その後は虚無感がありました。
たくさんの面白い人と出会い、自分の常識や殻がドンドン破壊されて、毎日が変わっていく…ような気がするだけで、実際は自分のことが分からなくなっていくようにも思えました。
人と関わる事によって、最も苦しい、自分と向き合うことをしなくなってしまっていく。
自分が今何を感じてるかを一番大事に考える事ができなくなると、自分が何だか分からなくなっちゃう。
新しい人にとことん会うだけのワクワクに頼っていても、楽な方に流れていく事があり、気づけば取り返しの付かない事になっているかもしれない。
一つのことに真剣に向かい合っている事の方が確かにとても苦痛だ。でもその時間は確かに自分と向き合っているように思う。
じゃあ信念を持てばいいのかな?
僕には最近信念がある。それによって、軸がブレにくくなったような気がしている。
しかし、信念は時に融通が効かない事がある。知らぬうちに楽な方向に進んでいることもある。そこに気づけるのか否かが、やはり重要であるということは、実は信念さえも必要無いんだとか。
わぁ〜〜僕にはまだまだ沢山の自分と向き合う余地がありそうです。
どう書けばいいのか分かんないけど、世界スタンプラリーより少ない国で深い経験をする方が良いなぁに似ている感覚な気もします。もっと分からなくなるか…