
一年前から、私は随分と変わった。もはや別人だ。この一年で、想像をはるかに超える量と質の知識、情報、繋がり、経験を取り込んだ。
私がこれからどう生きていきたいか、今何を感じているか、考えているかなんて、親は永遠に分からないと思う。生きているバックグラウンドが違いすぎて、幸せの定義から全く違っている。
私は親たちの生き方を否定する気なんて一ミリもない、むしろ尊敬しかない。男2人の子供を育て、ここまで大きくしてくれ、多くの経験をさせてくれた。僕にはそんな選択が出来るようになるのだろうかと常々思う。
それぞれの時代には、それぞれの幸福感の感じ方がある。その感覚まで共有する事は容易ではない。
アンビバレントな感情についてこの前記事を書いたが、明記はしなかったが親に対する見方を思って書いた。
両親という存在は、この世で最も愛してもらい、愛した人である。
そんな存在に対して、意見が合わない違和感を覚え始めたのは去年4月。
動けば動くほど、自分と親の考え方生き方の違いが明確になってきた。
そして9月のある日、私の考え方に対して完全否定を示した。
「わけのわからない事を言ってないで、アドバイスだから聞いてくれ、まずは、お前は社会を知れ」。
僕はあの痛烈な一撃を今でも鮮明に覚えてる。
アドバイスかどうかなんて、受け取り側の問題だ。
私にとってあなたのアドバイスはアドバイスではなく命令でしかない。
なぜなら、親から受け取る圧倒的な愛情と、私の親に対する圧倒的な信頼が作る、大きなパイプラインを通じて、言葉は大きな重圧として、私に一直線に飛んでくるから。
あの時、私はまだ脳が未発達で、自分の感情を表現する語彙が圧倒的に足りなかったので、ただただ我慢できずに声を漏らし、涙を流すしかなかった。
このストレスに耐えるために、重圧を回避するために私が取れる行動は、
「親のことを大嫌いになる」
という選択肢しかなかった。大きな重圧を届けているパイプラインをぶったぎる事でしか、自我を保つことができなかったのだ。
でも本質的にそんなことができる訳がない事に気づいたのである。その日以降、親の顔を見ることすら嫌になり、必死に自我を保とうとした。
でも、無理だ。
限界だ。
大嫌いになりたいのに、絶対にそんなことできない。
モヤモヤと私の本当の思いが消えて、見えなくなって、私という存在が消えそうになった。
ぼくはにんげんじゃなくなってしまう。
消える前に、私はとりあえず距離を置かねばならないと思った。お互いのために、一度頭を冷やす必要があると感じた。
一人暮らしを初めて、非常に心が軽くなった。
自分に嘘をつかなくて良くなった。
信じられないスピードで本や音声から言葉と概念を頭に叩き込み、猛烈な勢いでたくさんの人と繋がり、強烈な濃度の会話を重ねた。
もがき苦しみながらも自分と向き合い続けた。
そこで気づいた。
人間それぞれは一つの感情で表すことができないということ。
複合した様々な感情が、人間それぞれが持つ様々な面に対して抱かれること。
そしてそれは、近しい人間ほど、大きく乖離した感情を抱いてしまうこと。
私はそれが、どう表現すればいいか分からなかった。ただ、頭では分かり始めていた。
曲にして、アルバムも作った。
言葉にはできなかった。
今なら、はっきりと結論が言える。
私は両親のことを一瞬たりとも憎んだ事はなく、一瞬たりとも欠かさず大好きだった。愛していた。
同時に、分かり合えない部分が存在し、その面において、嫌悪感を抱いた。
親とのコミュニケーションが上手く行かなくなった原因は、とんでもなく乖離した2つの感情を2つと捉えることができなかった事による障害だったのだと思う。
大好きか大嫌いかのシーソーとしか思えなかったのだ。
今は、自分の、親に対するあまりにも乖離した感情を受容し、言葉にすることができるようになってきた。
だから、その事を伝えたい。
そして、
お父さん、お母さんも、私にアンビバレントな、2つの乖離した感情を持つ事になるかもしれない事をわかって欲しい。
私は、私の時代を、私の生き方で生き抜く。
こっちの方が楽なんてとても思えない。死ぬほど苦しんで何回も死にかけるし失敗するし仲間が誰一人いなくなる事だってきっとある。
でも自分で選んだ道だから絶対に進んでいける。
全く分からない道に進む息子が心配で仕方なくて、止めようとしてる事は言われなくても死ぬほど分かる。
でもそこで止められたら、お互いにとても不幸になることはもう分かるはず。
それが強烈な嫌悪感を抱いても、私の生き方を見てほしい。
様々な感情、様々な面を併せ持つ私を容認して欲しいと願う。
私は両親のことは絶対に嫌いになりたくない。
だから自分のアンビバレントな感情を受け入れる。
嫌われる覚悟で、私の人生を生き抜くつもりだが、本当はできれば、嫌われたくない。
本当に大好きだから、私は私の人生を生き抜く。