親と全力で話したけど…

本当は手紙を書いて渡そうと思っていたのに、今日の用事がなくなって時間が空いててたのでなんとなく、実家に帰って(しまい)ました。

必然的に親と話す事になってしまいました。とにかく自分の意見が爆発しないように抑えようと心に決めましたが全く無駄でした。

感情が堪え切れなくなりました結局。

はぁ。


先日、親に対して感じた事などブログに書きましたが、ちょっとその辺のお話を親にしました。

アンビバレンスについてはしっかり話が出来たし、僕が海外に行くことで親の想像超える経験を通して自分が大きく変わった事も話す事ができ、伝えられたと思います。

(親と話す前にできるだけ樋口さんのブログを読んで語彙力と表現力を付けた風で挑みました)

ですがやっぱり、当然ですが、理解されないところだらけです。

でも当たり前です。

これを納得するとそれが自分の人生の否定に繋がるような事だと思ってしまう事だらけだったと思います。僕の表現力不足か、そもそも完全に分かり合えるようなことではなかったのか。

僕は今回は初めて、僕が親に対してすごく同意できる好きな面とどうしても意見が違ってしまう同意できない点があり、それはどうしようもないものであるという事を伝えました。

が、その中で不適切な表現も多々ありました。

語彙量の無さを死ぬほど恨んだ。

悔しすぎる。

同世代にすら僕の考えている事を伝えられないのに、どうやって親に気持ちを伝えられるのか、無理だろ!と思いました。

親は50代です。

価値観、人生観、幸福の捉え方は全く違っています。でも、自分的には最大限に表現しました。


こう言われました。

「ここまでの話は良かったけれど、ここが論理飛躍したように感じて分からなかった。耳に入って来なかった。どうして、資源のリソースの奪い合いと幸福の話になるのか」

まずい!

うっかり樋口さんのブログの大好きな話まで繋げようとしてしまった!

こんなのある程度の共通認識がないとなかなか読み解くのが難しい文脈になってしまう!

僕はこういうしかなかった。

「僕の中では全てが繋がっているのですが、それを表現する語彙と表現力がないんだと思います。不快な気持ちにしたのでしたら申し訳ないです」

ああ、違うのに。

僕は論破したいんじゃないのに。

ちょっと話をしたいだけなのに。

哲学じゃないのに。

難しい話でドヤ顔したいんじゃないのに。

ほんとうのぼくのことをしってほしいだけなのに。


それから、必死すぎて表現が失礼であったり、共通認識がないと理解できない論理の飛躍のような事があったりする事で指摘を受けました。

その中で特に心に残ったのが、

「そういうのが分からない人の方が多いんだから、多様性を認めた方がいいよ。お前はそう思ってても、固定概念で理解できない人もいるから、諦めなさい」

そうだった。どうしよう。

僕の気持ちを分かってくれる人って圧倒的に少ないんだった。

それって社会で生きていく上ですごく不利なのかも。

僕にとっての僕らしさは多様性を排除することなの?

ここで僕は諦めと悔しさが混じってぐしゃぐしゃになった。

僕はどうしようもなくなって目の前がぼやけてしまった。

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