
どうして他人が存るのかな?
樋口さんの話の中ですごく興味深い事があったので、今日はそれを思い出しながら書こうと思います。
※今日は難しい話になっちゃったのでうまく結論が出ておりません!!人それぞれ考えがあると思うので、もしよろしければ、貴方の意見をきかせてください!
人間はスピリチュアルな物だ。
ちなみに僕はスピリチュアルなことは信じないしあまり好きじゃないのですが、樋口さんから話を聞いて確かにそうと思いました。
数学や物理を極めていくと、哲学になる。
哲学は、スピリチュアルな話になっていく。
数学者は、最後は哲学の話になるように、物事の本質を突き詰めようとすると哲学的になっていく。
その最もたる例が、人間とは何か、みたいな問いだと思う。
そもそも動物は、世界により多くの子孫を残し、生き延び続けるために存在していて、人間もその例に漏れないのだから、生きるために生きているはず。
しかし今では、価値観が多様化したり、未来について考えたりする力を持った事で、生きる目的を様々持つことができるようにはなった。
それでも、本質的には種の存続のためであるから、人間の脳みそはそういう事に適した構造になっていて、無意識でもその方向に動けるようになっている。
上に挙げた図のように、人類という大きな輪の中にたくさんの命があって、それをむにゅっと押し出したら、現世に形を持って出てくる。それが人一人。
他人も同じように出てくるから、直接繋がってはないけど、人類という繋がりはあって、お互い協力して種の存続を維持する必要がある。
じゃあなんで他人は自分と違うのか?
それは単純で、色々な特性を持った個体が有る事で、様々な生き延びる可能性が生まれ、その様々な交配を繰り返す事で生き延びる可能性が上がる。
というのが多分、生物学的なお話なんだけれど、別の視点から考えると、自分を認識することができるからとも言える。
自分を認識するには違った所のある他人と比較するしかないから。
背が高い人がいて始めて自分は背が低いと分かる。
イチゴを好んで食べない人がいる事で、「自分は比較的イチゴを好んで食べる」、そしてそれが好みという感覚と分かる。
じゃあなぜ自分を認識する必要があるのか?
そっちの方が生きていく上で楽だからだと思う。
なんで楽なのか。
うーん、そこまでうまく言葉にできないかもしれない。
他人との比較をするから辛くなっちゃう人もいるような。
書いてるうちに結論なんて言えば良いか分からなくなった。
他人と違っているという事はとても当たり前の事だし、それによって自分のことが分かるようになるから、人と違ってるから、自分の事を責めたり、相手を貶したり、ダメだと思うことなんて無いよね〜という話です。