僕も早く旅をしたい

僕は攻略本ばっか読んでるような子でした。

攻略本を読んで無いのは大好きな「音楽」だけでした。


小中高と同じだった幼馴染の友達が今日から世界一周。

本当にこの時が来たんだな〜って思った。

もっとびっくりしたのはYoutube開設してYoutuberになってた事。

え、やばいやん。めっちゃ楽しいやんか。

https://m.youtube.com/channel/UC3Qk7ytQQl78T22GNWIpP-w

とたんに気持ちが落ち着かなくなった。

落ち着けていた何かがいきなり動き出した。


議論して真理に近づこうとしたり、本を読んで知識をつけたりする事は楽しい。

しかし、今の時代、既に誰かが発見してしまって、わかりやすく本などにまとめられているものがたくさん。

例えば、人間の心理について分かっている事が多すぎて、社会ではそれをうまく利用して人を操る人がたくさんおり、人々は自動的に搾取されている。

攻略法のようなものがあまりにも多すぎる。

攻略本を読んでゲームをすれば確かに取りこぼしが少なく、欲しいものが手に入るかもしれない。

でも、そのゲームを、一瞬一瞬を楽しめるのか?


初めてポケモンをした頃を思い出す。

小学一年の頃のこと。

攻略本も何もないまま、思うままに進めていたら、マスターボール(どんなポケモンも必ず捕まえられるアイテム)を、これからも何個か拾えるだろうと勘違いして普通のポケモンに使用した。

本来使うはずの伝説のポケモンが現れた時、僕はマスターボールを持っていなかった。

どれだけボールを投げて何度挑んでも捕まえられず、結局諦めた。

めちゃくちゃ悔しくて泣いたのを思い出す。

それから、ゲームをするときは攻略本を読むことが多くなった。

たしかに、楽に、しかも取りこぼしも少なく、ゲームを進めることができるようになり、少ない時間で有利に運んでいった。

では楽しかったのか?

それはそれで楽しい。でもだんだんつまらなくなるのではないだろうか。

実際、現在はRPGのゲームはしていない。あれほど熱狂していたはずのゲームをしなくなった。

そして何より、今でも思い出すほどの良い教訓になったゲームの体験はこの件しかない。

これほど大きな物を学べ事はなかなかない。


代わりに音楽を作ってる。

音楽は、攻略本を頼った事はない。

専門学校に行ったり音楽理論を勉強したり、楽器の練習など一切無い。

失敗をひたすら繰り返し繰り返し、超スローペースで、ボコボコになりながら進んでいった。

その結果どうか?

一般的な音楽の知識教養は無いけど、一般的な音楽とは言えないものばかり作るけど、何よりもその瞬間を楽しんでる。

ずっと続けられる、ずっと楽しんでいられると確信してる。


今日なんとなく話してたらアリババの創業者ジャックマーさんの話がでたので、有名な話を一つ思い出す。

https://mobile.twitter.com/gou_affiliate/status/1142295287760707584?ref_url=https%3a%2f%2foreno-yuigon.hatenablog.com%2fentry%2f2019%2f06%2f27%2f173837

貧乏マインドの人に尽くすほど最悪なことはない。

何かを無料プレゼントしたら、
「これは罠だ」と非難する。

「少額投資で大丈夫」というと、
「じゃあ、儲からないじゃん」と文句を言う。

「多額の投資が必要」というと、
「そんな金ない」と文句たらたら。

「新しいことに挑戦しよう」と誘うと、
「経験がないから無理!」と諦める。

「伝統的なビジネスだよ」というと、
「じゃあ成功しないね!」と却下される。

「新しいビジネスモデル」というと、
「ああ、MLMか」と決めつける。

「店を経営してみたら?」というと、
「自由がなくなる!」と主張。

「起業してみたら?」というと、
「プロじゃないから無理」と受け入れない。

貧乏マインドの人たちの共通点とは、
Google検索が大好きで
似たような貧乏マインドの友人の話ばっかり聞いて慰めあってる。

口先だけは、大学教授なみ
でも行動は、盲人以下。

彼らにこう聞いてみて、「じゃあ、あなたは何ができるの?」
何も答えられないから。

私の結論は、
言い訳を熱弁してる暇があったら、
もっと素早く行動に移せばいい。

いつも考えているばかりよりも、
何か実際にやってみたらどうか。

貧乏マインドの人は、ある共通点により人生を失敗します。
ずっと待ってるだけで、自ら何も行動しないからです。


言い訳を考えるのは簡単。

慎重になるな、じゃなくて、貧乏マインドになるな、です。

つまらんことしてないで、

早く旅に出たい。

LABB RADIO #04

「LABB RADIO」#04

Breakcore、IDMを愛する現代音楽アーティスト”やましょー”と、いいかねPalette代表:樋口聖典の二人が自由気ままにお届けするラジオです。

今回は「DTMボクシング」のコーナーです!

音楽の作り方が全く異なる二人が、一曲を交互にアレンジし合い、より良い曲に仕上げていくコーナー!

今回は準備編!アレンジする対象の曲を聴いてみます。

番組のチャンネル登録はこちら⇒ https://www.youtube.com/channel/UC-rk3PI0TNWRcplE7CFs99Q

収録@いいかねPalette

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番組へのご意見・ご感想は https://twitter.com/yokkun_52 まで。トークテーマも募集中です!

#04 DTMボクシング ~準備編~

寛容さ・捨てる能力

今日は大学の友人と話した話。

彼は僕の友達の中で一番、僕の話が論理破綻したり説明不足である事を教えてくれるのでいつも良いフィードバックを与えてくれる。

最近、そんなに前ほど動いていないし、アウトプットのためにブログを書いているけど、それでもインプット情報過多で整理できてない部分がある。今日はそれに気づけた。

あと、最近は特に話の一つ一つの濃度が濃くて重い感じ、とも気付かされた。

なんでかなーって考えた時、これは多分、日常の何気ない事柄に対して、考えたり気づいたりする事をスルーできなくなっている事が原因かもしれない。

人生全部ブログのネタ!と思い始めてしまっているので、本当に染み付くとひたすら色々なことに気づくようになった。

これは潔癖症に近いかもしれない。

潔癖症が悪いというわけじゃないが、単純に物事をありのままに受け入れる、またはスルーして捨てる事ができれば、そっちの方が生きてて楽である事は間違いない。

和式トイレの方が洋式トイレより清潔だけれど、洋式トイレのほうが落ち着けるし楽だから大抵の人は洋式を使用する。


中途半端に知識を持ってしまうと目についてしまう。

モヤモヤと不安を感じてしまうから徹底的に極めたくなる。

もちろん、知らないと損をする事はたくさんある。

そのような事をできるだけ回避したいと思い本を読んだりする。

でも極めれば極めるほどさらに先が見えてくる。

何も知らずに損をしているとも思わずに生きたら、それはそれで楽なのだろうか?

うーん。

私は考えて発見して表現する事が楽しいと感じているから、まあいっか。


人生は、やりたい事が無い人には長すぎて、やりたい事がある人には短すぎる

多分この辺からわかる事なんやな。

困っているけど悩んでない

今日は朝から運転して柳川ムツゴロウランドへ。いい感じの規模のマルシェでたっぷり寛げたし、ピエロックさん見れて感動したし。話したかった人とも話せて満足。あとスリランカカレー🍛美味かった。アジア。

帰りに久留米に寄って、あまりよく分かってないイベントに途中から参加!楽しかった。

今日は色々あったけど最後に友人とダラダラ喋った小さい事をあえて書きます。


自分の性格や何かの性質に関して、困っているけど悩んでいない人。

会話の途中で彼がふと放った言葉がとても矛盾をはらんでいるようで妙にしっくりくる面白さがあるので、思わずそこから考察したくなりました。

これ、昨日の記事で書いた樋口さんも、そんな感じに見える。

困っているけど悩んでないので検査を受けに行けた。

困っていることに興味を持って、調べたり改善させる方向へ向かっていた。

彼の話の続きでも、困ってはいるが、別のアプローチで解決させているから悩んではいないという話が続いた。


ただの言葉の意味通りのような気もするけど、この話で使える考え方は「困ることは誰でもあるけど、悩むかどうかは捉え方次第で、悩まなかったら問題ではない」事。

困ってても悩んでなければ、問題ではなくなり、ポジティブに改善に向かえる。

確かに、今僕は金が無いので困っていますが、悩んではない気がする。

そんな感じで話した後、次に考えたのは「困っていないけど悩んでる事」。

彼の例えがわかりやすかった。

彼女が居ないことに困っていないけど悩んでいる事。

確かに、すごいわかる。


なんか悩むの意味がわからなくなりそうなので調べてみた。

悩む=精神的な苦痛、負担を感じる事

ついでに困るも調べた。

困る=ある物事をどう判断してよいか分からず悩む。取り扱いが厄介で苦しむ。

え、お前、悩むって意味を包含してたのかよ…余計な分からなくなったやないか…


もうこっからは超自論ですけど、悩みというのは自分の中で勝手に期待したり、常識などに当てはめて、その基準からズレている事に苦しみを感じている事なのかな。

怒りの感情もかなり似てる気がする。

困る事は、客観的に見ても都合が悪そうな事言ってる気がする。

超勝手に解釈したけどなんとなくこの話の中の言葉の意味はそう感じた。

辞書的な意味だと完全に矛盾ですが、悩むという漢字が「心」を持っている点で無意識のうちに感情から見た物事の判断の意味を持つと考えてしまったんですかね。

まあ、知らんけど!(完全放棄)

はぁ、言葉の難しさに困っていないけど悩んじゃいそうでした。

偏差と生きづらさ

樋口さんのブログのADHD検査に行った結果の記事が非常に面白いので、シェアと考察をします。

元記事はコチラ

https://higuchi.world/archives/1856

結局自己評価では完全にADHDだが、医学的見地からするとADHDではないというモヤモヤした結果になっています。ですが、分かったことも非常に多く興味深い結果なので本当に自分も受けてみたいです。

特に面白いと思ったのは、IQ検定の部分。


WAIS-III(IQ測定)

・基本的に、全部の数値が高い。特に、「処理速度」とよばれる、コンピュータでいうとCPUのクロック数に該当する部分が高い。

・そのなかで、一般的には高いが他に比べると比較的低い部分がどうしてもでてきてしまう。それが、樋口さんの場合は、作業記憶と呼ばれる部分。コンピュータにたとえると、ワーキングメモリ。

・マルチタスクで同時に複数の思考を走らせる場合、CPUの処理速度が早いため、ひとつのタスクに取り組みだすと急速に処理をはじめてしまい、ひとつのタスクがCPUを専有してしまうような状況になる。これが、一つのことをはじめると周りが見えなくなる原因になっているかもしれない。

・他の人が気づかなくていいことまで気づいてしまうことがあるので、大変なこともある。

・IQ130以上は2.2%。IQ136となるとさらに割合が低く、約1%ほど。日本人の平均値、IQ100からみると36もかけ離れている。
これは平均値からの乖離でいうと下に36離れているIQ64であることと変わらない。人によっては普通の社会生活に弊害をきたす場合もある。


これ、まず面白いのが後半の知能が高い事は知能が低い事と生きづら的に同じという事が書かれている点。

IQが高いと、ひとつの言葉や事象を与えるだけで、様々な関連性を見出し、抽象化し、気づきを得ます。よって、話が自分の中では繋がっているのに、相手には話が飛躍したようにしか見えないという事が起こり得ます。

これが、よく言われる「IQが20離れると会話が難しくなる」というものです。

IQの分布は正規分布に近くなりますので70-130の間に95%の人がいます。

これは確かに話の合う人が見つけづらいのかも知れません。

しかし、それだけではありません。

IQ70以下であることを知的障害がある、という風に定められており、平均からの乖離度を考えるとIQ130以上というのは知的障害を疑ってしまうようなことも起こり得る、という事もあります。

なぜそうなるのかというと、書かれている通り、ワーキングメモリの不足による影響です。


色々ワーキングメモリについて調べたことがあるので、この結果はなるほどと思いました。

パソコンで言うところのメモリと同じで、机で言うところの机の広さです。

机にたくさん教科書を広げても全て処理できる能力(IQ、CPU)を持ちながらも机は小さいので教科書が下に落ち、結果重大なミスや、忘却に繋がっていくというものです。

また、処理できるからという理由で机に教科書を広げまくっていると、机に落書きができません。余白によって頭が休憩できないと、不安症やメンタルの悪化に繋がります。

これもワーキングメモリの不足による影響です。

実際に、ADHDだと思ったらただIQが高すぎて、精神障害を疑っただけだったという話はよくあるらしいのです。


知能指数が高い事は、幸福度には影響しないそうです。

高すぎて乖離していると、社会には適合できないのでしょうね…。


話は変わりますが今日塾の先生をしました。

いつもと違う会場で初めて合う生徒で、ちょっと興味深い子がいました。中学2年生の男の子です。

全く宿題をしないので厳しめの先生に怒られているが、全く反省しないのです。面白がってその先生が離れてから話をしてみました。

すると、「宿題をする意味がわからないです。宿題は手段であって目的が勉強して知識をつける事なら宿題は必要じゃない人もいるじゃないですか。分からないところだけ聞けばいいし、どうしてみんなでダラダラ授業受けなきゃいけないんだ。俺は早くスマブラしたい…」

みたいなことを言ってました。

そのほかにも合理的ではない事に気づき説明してくれました。僕もよく考えることなので話が合いました。

彼は一度も夏休みの宿題は終わったことがないらしいのです。しかしテストの点数は取っていく。非合理な事に気づき、意見を言うことができる。

こんな面白い子がいるのに、学校でも先生に怒られてばかり。

きっとこの子も平気からの偏差が大きくて、色々気づきすぎてしまい、合理的でないことは徹底してできなくなっちゃう子なんだろうなと思った。

IQは自分の精神年齢➗実年齢であるから実年齢は分母であるため、同年代からの乖離度を考えてあります。

こんな子が、のびのびと自分らしく居られる教育を作りたいなと感じた。


僕はどうなんだろうな。調べてみたい。

仲間

本当に仲良いと思っている人に、突然厳しい指摘を受けるととてもびっくりする。

しかし、自分の感じた本当に嫌な事をすぐに嫌と言ってくれる仲間ほど大切なものはないと常々思う。

この一年間、自分で色々な事に挑戦して、色々な人と知りあい、その分色々な失敗をして、たくさんの指摘を受けた。その指摘してくれる人の数が僕の成長に一番関係してくれています。


損得の関係性があるなら、関係性がマイナスになることは言わない。

それが仲間であるならば、自分がおかしいと思った事に対して、ストレートに、自分の気持ちを伝えることが良好な関係性に必要不可欠な事。

裸で歩いてる自分を「まあいいんじゃね」って言う者よりも「俺はおかしいと思うから服を着てほしい」とすぐ言う者の方が仲間として一緒に居られるし、いて欲しいほしいと思う。

それがなければなんの人間の成長は無いし、仲間としての関係性の意味もない。

お互いが自立していて関わる事で掛け算のように成果を出せる関係性こそが本当に仲間だと思う。

俺もそういう仲間でありたいし、そういう仲間が周りにいてほしいし、自分もそうでありたい。

言葉を“道具”から“武器”に

昨日、嘉麻市にある民間学童Tri Eduを見学しに行きました。

僕はよく、これからも教育のあり方について考えます。

日本の教育システムが終わっているからです。

でも、じゃあ具体的にどういう事をすれば良いのか?それはぼんやりと抽象的な事しか思い浮かびませんでした。

しかし、昨日訪れたTri Eduではもう実践していました。

内容としては、中学生が毎週テーマに沿ったトピックについてプレゼンをすると言うものですが、とにかくスピード感と緊迫した空気と本気でぶつかり合う生徒と先生に、本気で心動かされました。

昨日分かった事を殴り書きしたので、なんとなく整理してここに書いておきます。


今教育に必要なのは「言葉を武器にする力」

テーマに沿った自分らしいトピックを選び、自分を表現できる言葉の力が必要だ。

「言葉」を道具としてしか見ていないなら、自分を本当に人に伝えることができない。

その先の自分を伝え、相手に響く武器として使わないとその人の個性や得意なことの価値は消える。

表現することが出来ないと、才能は全て意味がなくなる。

社会に個々人の才能を反映させるためには、できるだけ多くの人の心に届くプレゼンをするしかない。

社会に出て一番よく使う事はプレゼンテーション。

仕事も恋愛も、プレゼンテーションの連続。

そんなのをいきなり社会に出て求められてもできっこない。

それが出来ない人はロボットになるしかない。

それは人間にとって苦痛でしかないはずだ。

人間は、それぞれ違う才能を持って生まれてきたはずなのに、誰でも取り替えができるような事をやらされるというのは幸せのはずがない。

表現する力。

テーマにそってトピックを選び、制限の中でも自分を表すことができる力。

それをもってしても、全員を納得させる事はできないという社会の厳しさ。

それを早いうちからフィードバックをして捉え、次に生かす力。

他人の失敗や行動を見て、自分に生かす力。他人への観察力。

教育には作文読み上げ程度しか組み込まれていない。

自分を表現できないように、組み込んでいないのではとさえ思ってしまう。

これから最も必要な力は

プログラミングでも成績でも無い

言葉を武器にできるかどうかだ