思考時代

これは自分の願望ではなく、客観的な事実として今様々な常識が変わってきている。

コロナが起きたからでは無く、その前から変化していた。

それを知りたくて、ジョージアに飛んだはずだ。そこでたしかに目のあたりにした。

言われたこと、指示されたことを、素早く正確にやる時代から、「なにをやるべきか」「何をやれば価値があるのか」「市場は何を求めているのか」を把握しそれを人に伝えることができる人の時代に。

ジョージアのゲストハウス、カカシハウスのクラウドファンディングの恐ろしく早い目標達成、レペゼン地球の無観客ライブ決定、ここ数日を振り返って改めて思う。

思考時代だ。

無宗教時代だ。だからこそ、圧倒的な思考と行動で抜きん出る時代だ。

あれっ、私の意思決定力、低すぎ、、、?

最近は自分なりにできること、やっててたのしいことをやれてる、どう繋がるかは知らんが割と快く生きてるんじゃないかなと思っていたが、今日とある人と話すことで、俺の正しい指針の決定力が客観的にみてどれくらいなのか知りたくなった。

そこで、科学的な指標を用いて自分の決断力を測ってみた。

参考 https://www.nicovideo.jp/watch/so36744683

まず科学的に正しい決断が出来ているかどうか測るために18の質問に5段階評価で答えた。

90点満点中、44点。この数字は42点以下が決断力がかなり低いとされ、43から66点はそこそこの決断力、それ以上は素晴らしいとされる。

低すぎるとまではいかないが、そこそこに低い。

その次に、この質問を6つの決断力スキル別に分け、それぞれの項目の点数を合計し、低い分野がある場合、そこを改善していきましょうといった手順。


まず1つ目、積極的な意思決定のための環境作りができているか。20点満点中13点。

これはステークホルダー(意思決定の関係者)に意見の共有ができているか、決定するための情報は十分にあるか、利害関係者についてしっかり見極めているのかについてが問われている。

たしかに、自分がどう生きていくかという問題に関して、意思決定者は自分だけのように見えて、その利害関係者や、住んでいる場所、仕事、家族に関してもなんらかの影響は及ぼすことになる。それを見極め、意見を共有しないと理想的な意思決定の環境には至れない。


2つ目、潜在的な解決策を生み出すスキル。

15点満点中6点。これは全体で二番目に低かった。

創造力の不足、多くの選択肢からの方が決断力が上がるため、とにかく意図的にアイデアを出しまくることも大事。

アイデア出しをしっかり行わないと、今までやってきたことばかりが思い浮かぶ。そのアイデアは手慣れているから、正しさに関わらずにこれでいけると思ってしまう。

判断をしないで、馬鹿なアイデアでもいいから書き出してみよう。自分の枠に囚われているのではないかと思い、ハッとした。


3つ目、代替案の評価スキル。リスク管理スキル。

15点満点中8点。

代替案に関してそれぞれ、リスクを明らかにし、そのリスクや成果の予測可能性(数字でみることができる、など)を高め、実現性の確認を行うことがリスク管理能力として必要になる。


4つめ、構造的決定力。

15点満点中6点、こちらも2つめと並んで低い。

決断とはストレスのかかるもので、ストレスの弱い状態で判断をするとミスる。

大きな決断、小さな決断を区別せずに全て感情で行なってしまうと場合によってはmp消費量が多すぎて魔法が発動失敗になったようになってしまう。

小さな決断、また大きな決断でも可能な限り客観的な判断があることが望ましい。

いつも自分で一生懸命考えるより、自分なりの意思決定のシステムやツールを持っておくと良いとのこと。

なるほど、思考のフレームワークやビジネスフレームワークを駆使して客観的な視点を取り入れたら良さそう。なんだかんだ感情だけで決定してしまうと疲れるので、たまには火の魔石を使って炎魔法を使おうといった感じか。


5つめ、決断チェック能力。10点満点中6点。

どんな決断でも完全に客観的な決断というのは人間には不可能。なるべく客観視するのは大事だが、そこに気持ちが乗らないと人間は動かない。感情の生き物だ。

客観的に見ても正しい上に、その正しさに意義を見出し、惚れ込むことができているかをチェックできる能力が必要。

ふーんたしかに、客観性の薄い、選択肢の少ない中で感情のチェック能力が高くてもいつまでも納得できる前進はない気もする。


そして6つめ、これが衝撃のもっとも低い能力だった。

伝達と実装能力。15点満点中5点。

自分の選択を相手に伝える、具体的にどうしていくのか、計画を伝える、などの、決断のサポーターに対し説明ができていない状態。

サポーター作りがとても苦手であるということ。

これはたしかにその通りかもしれない。結構衝撃を受けた。

最近自分の決断ができなくなってきた、それはただ自分の決断を周りに伝えられていないだけの場合もあり、それに気づかないとたとえ正しい決断であっても自分の決断に自信が持てなくなってしまうことがあるそう。

自分の意思決定の根拠と実現可能性をちゃんと伝えましょう。


以上が科学的に正しい意思決定スキルについてでした。

科学的に正しいものが、自分の人生にとって正しいものになり得るかどうかはわからないが、今自分が向き合った方がいいものを示してもらったような気がしてすごく有意義だったと思う。

教養というエンタメ、ラジオを撮るというエンタメ

教養とはそもそもがエンタメだったはず。いつからやらなければならないことになったのか?

最近本を読むことが楽しい。

特に、新しい知識を獲得することや、新しい思想や視点を与えてくれる本は特に楽しい。

楽しくてそれを誰かに共有したいと思って、最近流行のオンラインで人に説明したりすることが多くなっていった。

新しい知識を得る時、それを人に説明して納得してもらえるとき、たまに、それを教えることで悩みが解決することもある。そういう時、めちゃくちゃ楽しい。エンターテイメントだなって思う。

せっかく知識をつけたのだから、それを駆使して創造的な活動がしたくなる。

文章を書いてみたり、何かプロジェクトを立ち上げてみたり、実際の職場に入ってみたり、今回のタイトルにあるようにラジオを撮るというのも選択肢の一つ。

今、コロナの時代を生きる同世代がオンライン上で集まって、コロナ会議なるコミュニティーを作っている。

そこは、上記に述べたような教養を楽しんで、さらに何か創造したいと思っている活動的な人々が集まって新しい何かが始まろうとしている。

その中で僕はラジオパーソナリティ、編集、配信というスキルを生かして、コミュニティー内の人について掘り下げる活動をしている。

それが、なんだかすごく楽しい。僕の仕事量はまあまああるのだが、楽しいのであまり気にならない。一緒に収録する人も初めてながらもすごく楽しそうに話してくれる。これもめちゃくちゃエンターテイメントだ。

来月さえも全く予想ができない現代。何か物凄く大きな変革が起こりそうな気がする。そんな今こそ怯えてないで今できる楽しいことをやっていきたい。

自分というものはない、唯識

唯識の思想、やっと読破!

内容の3割も頭に入ってない気がするが、それは読み返しつつ、日々の生活の中で実感していく実践していく事でしか腹に落ちないんだろうなーと思う。

唯識って思想なんですけど、めっちゃ科学的で面白いんです。

瞑想をして、唯だあるのは五感だったり肉体で、それを「自分の」ものであると言うことなんてできなくない?というのを論理的に論じてくれるので、面白い。まあ確かに自分というものは証明できない。そこに細胞がある事くらいしかいえない。

「自分が」「自分の」と思うから執着が生まれてなんだかシンドイ。

花は「自分が美しい」として咲いているのか?花は唯だ咲いているだけだよね。

「自分は美しい」「自分のお金」「自分は嫌われている」そう思ってしまうんじゃなくて、唯だそこにある花のように生きたいですね。

こんな時代だからこそ、プチデジタル断食

なんか、疲れてるなと思った。コロナ疲れか?

いや、ただ単にデジタル疲れじゃないか?外出自粛でオンラインでの人との付き合いが増えたし、なんとなく注意がデジタルデバイスに向きすぎてしまう。

こんなときこそ、プチデジタル断食。

スマホを持つ手で本を持ち、スマホは部屋に置きっぱなしにした。

スマホを手放そう!だけだと手持ち無沙汰になってしまうから本に置換えるのがいい。

取っておきの一冊を今日は読もうと思い「唯識の思想」を第4章から読み進めた。

中庭をゆっくり歩きながら読むと、歩行瞑想と合わさってほどよい集中状態で本が読めた。いい感じ。

夕方からは予定していたオンライン会議へ。

ゆくゆくはデジタルデバイスの使用を「前日予約制」なんかにするとめちゃくちゃ生産性が高いかもしれない。

知識のインプットとアウトプットを行いたい

今日からアダム・グラントさんの書いた「GIVE&TAKE」を読み始めた。

そしてたまたま今日から中田敦彦のYoutube大学でもGIVE&TAKEが解説された!

なるほどなるほど、中田さんはこういう風にこの本を要約したんだな〜と思いながら聞いていた。

自分もただ読んでいるだけではなくて何かにアウトプットしつつ読み進めていきたい。

Noteで自分なりの要約をかいてみようか。

ラジオで分かったことを配信しても面白いな。

今、学びのサイクルを自分で作ってみたくなった。

やってみよう。

誰かの基準に合わせない、その次のゲーム

もう他人の基準に合わせた生き方を辞めたい!

人からどう見られるか、じゃなくて自分がどう思うのか、その声をしっかり聞いて生きてみよう。

大学にいく意味が分からず、ただ時間お金を無駄に消費して「大卒」を取りに行くだけのゲームを、これ以上できないと思ったあの日。

まずは他人の基準のゲームを辞めた。

ずっとレースゲームをしていた僕の世界に突然マインクラフトの世界がやってきた。

マインクラフトの世界では、何をしても良い。

冒険してもいい、立派な家を立てても良い、エンダードラゴン討伐までのタイムアタックをしてもいい、友達とのんびりと農業をやってみてもいい。

僕は今まさに、過酷なレースゲームからマインクラフトへカセットを入れ替えたところだ。

自由だ!そう叫んで冒険をしたり、創作に耽ったり、新しい場所で生活したりしてみた。

面白いのだけど、マインクラフトの世界では次次に自分で目的を設定しないと、何もしなくなる。

しかも何もしないだけでお腹は減ってくるので、食糧を集めなければならない。

敵も襲ってくることがある。

食糧を集めなきゃ、敵が襲ってくるから備えなきゃ。

そうやって恐怖に恐怖し始める。

とにかく色々動いていた時は恐怖はあったが「恐怖に恐怖」はしていない。

そうなるくらいなら、過酷なレースゲームで無意味に体力を消耗している方が良いんじゃないかとさえ思ってしまうほど怖くなる時もある。

そうなったときは、一旦、目的地を決めてみよう。

とりあえずあそこまで行こう、途中で違うと思ったら辞めてもいいから、とりあえずやってみよう。

大丈夫、マインクラフトのルールにまだ慣れていないだけだから。