今日から山奥

今日は4ヶ月お世話になったいいかねPaletteに別れを告げて、今日から山奥生活だよ。

出会いと別れはセット。変化し続けることで自分の輪郭が見えて来る感覚がある。

それがすごく楽しくて。

あせらない くらべない

なぜなら、昨日は焦って比べて勝手にシンドバッドしていたから。

僕はアホなので、思考が下降していくことが止められなくていくところまでいかないと気が済まない。そのあとに気絶して、時間が経つにつれて大体「あせらない くらべない」ができてないだけだなと気づく。

渦中にいるときはマジで気づけないし、どんなに気を付けても、調子が悪い時とか、疲れてる時にはシステムがバグる。なんか、そういう仕様だから。

まあでもそれでいいんだよ。落ち込んでしまったら落ち込んでしまえ!そのあとちゃんと気付けるものだから。

心療内科

長年の謎だった「心療内科とか精神科って何すんだろう」が解けました。

病名が付く基準はあるんですか?そんな絶対的な物差しで測って意味あるか?という問いに対して「人によっては病気と認定して無理やりにでも直す必要があったりするし、保険適用させることもできるからね」みたいな答えが返ってきてなるほどになった。

一応世界基準みたいなのはあるけど、強度の判定とか主観的な判断になっちゃうから自己判断では難しい。客観的に見て明らかにおかしい場合はとりあえず病気として取り扱えばいいみたい。

今の僕は上手くやって生きてはいるから、まじであとは色々やって生きてくだけですね〜って話するので終わった。なんかめっちゃスッキリした。ブチ壊れたらまた来よう。

性欲と創作欲

どちらが先かわからないが性欲と創作欲はなにかしらの相関があると思っている。性欲があって、それを抑えるように創作をするのか、創作をすることで性欲も発生しているのかは不明だが。多分鶏が先か卵が先かみたいなところだと思う。

すごいミュージシャンや芸術家は性欲がデカイという話も何となく聞いたことがあるし、今まで出会ってきた人の経験的にも性欲が高い人は創造的だと思う。

本能ダダ漏れになっちゃうのではなく、うまーく創作に昇華できてる人はものすごいものを作っている気がする。子孫を残さない代わりに創作物を残すという感じだろうか。エネルギーがすげえ。

Zine

Zineという、個人で自作する雑誌の文化を知った。

今日は自分でZineを作るWSに参加した。コラージュアートをつくってその上に最近読んだ本の好きな言葉を意味深な感じで貼り付けてみた。意外とそれっぽいのができてウケた。

別にしっかり出版しなくていい。紙に印刷して自分で作っちまえばいいんだ。なんだかたったこれだけ知っただけで世界が広がった。

Life of Wildside

究極の自由とはなんだろうか。

生きている中で究極の自由を求めても、かならずどこかで不自由になっている。この言葉だって、言語の制約の中で自分の思いや考えを綴っていることになるのだから、突きつめたらきりがない。

究極の自由となるとき、それは死ぬときだろう。ふっと最近腑に落ちたことだった。

今日なんとなくメモを見ていたら、大学が嫌になって、生きるのがおもしろくなくなって、もがいていた時の文章を見つけた。

この自分の身体的、精神的な不自由を嘆いて、開放されたいという思いが綴られていた。死ぬことでしか達成できないと本気で思っていたんだろう。あのときは世界が狭くて狭くて、押しつぶされそうだった。どんなにお金を使っても、海外へ行っても、死にかけても、だれも、なにも、ぼくを開放してくれなかった。

ぼくを開放するにはぼくの意志を殺すほかなかった。一人部屋で静かに「さよなら」を告げた。

一番外側にある、最後の扉の前に立ったら、後ろを見たくなって、後ろを向いてみた。そこにはまだまだ様々な道があった。

みんなのよく言う人生の正しい道、普通の道の他に、人生の獣道があった。どれだけ不自由が付きまとっていても、僕はまだ生きていてもいいんじゃないかと気づいた。いやなら大学くらい辞めちゃえ、周りの言うことに従うくらいなら自分の心の声に従ってWildsideに飛び出しちゃえ。生きてたらいいさ。整備されている道ではないけれど、死ぬよりは不自由だけど、その先には誰も見たことない何かがあるかもしれない。

あの日思ったことを言語化することは一生できないと思うけど、こうしてふっと思い出したときに言葉にしてみたい。いまこうして笑って生きてられてる自分がいるのはあの日の気づきがあってこそだから。

相変わらず一か月先も見えないような生き方してるけど、心が喜ぶことをたくさんして、同じような獣道を行く新しい仲間もできて、元気に暮らしています。

どうせいつか死ぬんだから、究極の自由は一番最後の楽しみとしてとっておこう。究極の自由を謳歌するために、この不自由な生をゆかいな仲間たちと共に踊りながら生きていけたら、すごくいいな。今までかかわってきた人々、これから僕と関わっていく人々、ありがとう。そして、よろしくね。