君と踊る、世界とともに

君と踊る、世界とともに

歌モノを作りました。

最高傑作になりました。

あとでドカンと公開します。


揺れて踊る

君と私

世界踊る

君と私

君がいなきゃ

私がいなきゃ

世界は無いの

世界は踊る

私、貴方と

生きたいのです

貴方と咲かす

桜の花が

積もり積もった

その中で さあ

永遠に踊ろう


いま

君がいて 世界は踊り出す

風が吹き 木々は踊るの

踊れよ踊れや

世界と踊ろう

風を起こすのは

君と私なの

君がいて 世界は踊り出す

風が吹き 木々は踊るの

踊れよ踊れや

世界と踊ろう

風を起こすのは

君と私なの

降り止まぬ空の雨に泣く

空が消え光を失う

踊れよ踊れや

世界と踊ろう

風を起こすのは

君と私でしょ?

君がいる

それだけで奇跡 でも

いつまでも 共にはいれない

いつかの終わりを迎える時には

二人で世界を踊り明かしたなら

それでも、それでも、儚く散るなら

美しく死体を共に残しましょう


今雨は止み

空は晴れ渡る

君と私は共に生きてる

それならそれなら ただ手を繋いで

二人で世界踊り明かした後

それでもそれでも世界続くなら

美しく共に空に飛び立ちましょう

嫌悪感と不快感

アートや文学作品を見ていると、時に激しい嫌悪感を感じることがある。

人がグロテスクに死ぬとか、強烈な高周波の音とか、パッとしない終わり方や展開、歴史的な暗い事実を取り入れたり、よく分からない生物のような絵を見たとき。

アートが必ずしも人をポジティブな方向に持っていく為にあるものとは限らない。例えそれが、ネガティブな方向へ、嫌悪感を感じる方向へ持っていっても、それは人々の心を豊かにする。嫌悪感などを抱かせるようなネガティブな手法を使っても、アートの目的が問題提起ならば、非常に有効な手段だと思う。

私はそんな強烈な嫌悪感を与えてくれる作品が好きだ。自分の中で、新しいこと考えるきっかけを与えてくれるし、強烈なイメージは圧倒的な世界観を見せてくれる。きっと私が今の音楽にはまったのも、この聞きなれない不快感という具体的な要素が”独特の世界観”という言葉でしか表現できないものになったんだろうなと思う。

しかしこのような表現をあまり大きな声で、それを提示することは果たしていいことだろうか。

表現の不自由を嫌悪感と不快感を使って多くの人の目に留まる場所に置くというのは、確かにアートを問題提起として使っている点では正しいのだが、嫌悪感や不快感を大きく抱いてしまう。

これって、人間知の心理学を学んでいるときの姿勢と同じだ。人間知の科学を人に話すときは、十分な注意をしても、相手を不快感や嫌悪感を抱かせてしまう。場合によっては強烈な傷を負わせてしまう。だから、謙虚に学び続けることを強いられる学問であるとアルフレッド・アドラーは言う。

アートで人に強烈な何かを伝えたいならば、謙虚であり続けなければならないのかな。

それでもいいや、私は音楽を作ることが、表現する過程が本当に楽しい。謙虚に、自分の中にある感情を大きな不快感と嫌悪感で表現してみたいな。

誰に聞かれるなどと考えずに、自分の中にある感情を分析して、濾したコーヒーのように、なめらかな、生き物のような音楽を作る場所が欲しいと思った。

いいかねPaletteでよく飲みに行くTasCoffeeは、ネルドリップコーヒーだ。布で濾してある。

いいね、そんなじっくりと作り上げた音楽を味わってみたい。もうyoxtellarじゃできないかもな。

新名義、Nheld Rip(ネルドリップ)なんて名前はどうだろうか。

コーヒーを飲みながらぼんやりと思い浮かんだ名前がそれだった。

 

LABB RADIO #12

「LABB RADIO」#12

#12 ジェネレーションギャップなど存在しないのだ!!

Breakcore、IDMを愛する現代音楽アーティスト”やましょー”と、いいかねPalette代表:樋口聖典の二人が自由気ままにお届けするラジオです。

今回は新コーナー「お悩み110番!」

悩める子羊さんたちからいただいたお悩みをやましょーと樋口さんがバシバシ解決していくコーナーです!!

今回の質問は「大人や年齢の離れた世代とのコミュニケーションが難しいです」

「しゃちょーになるたには何をしたらいいですか」

です!どちらも大学生からの質問です!

収録@いいかねPalette

TOP

番組へのご意見・ご感想は https://twitter.com/yokkun_52 まで。トークテーマも募集中です!

LABB RADIO #11

「LABB RADIO」#11

Breakcore、IDMを愛する現代音楽アーティスト”やましょー”と、いいかねPalette代表:樋口聖典の二人が自由気ままにお届けするラジオです。

今回はやましょーが曲を紹介するコーナーですが、我慢できずに自分の曲を紹介⁉️

樋口さん、俺の曲を聴いてくれ!のコーナーになりました!

yoxtellar – Streptococcus Pyogenes

番組のチャンネル登録はこちら⇒ https://www.youtube.com/channel/UC-rk3PI0TNWRcplE7CFs99Q

収録@いいかねPalette

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番組へのご意見・ご感想は https://twitter.com/yokkun_52 まで。トークテーマも募集中です!

Life as Breakbeatsとは

今日はブログを見直して、今の自分に最適化をしました。バリかっこいい感じになっただけでなく、いろいろ変更した点があるのでお知らせします。(なぜなら、頑張ったので!)

まず初めに、ブログのタイトルの意味について改めて考え直して言語化しました。メニューからいつでも読むことができます。

こちらの記事です。一応下にも引用してあります。

こんにちは。やましょーです。
Twitterでは「よっと」、音楽活動では「yoxtellar」「y=0t」という名前で活動しています。

さて、さっそくLife as Breakbeatsについての説明をしたいところですが、そもそもBreakbeatsとは何なのかというところから見ていきましょう。
Breakbeatsとは音楽制作手法の一つで、ドラムの演奏が録音されたループ素材を、なっている音別に切って、再構築して作ることです。
ただドラムの順番を並べ替えるだけでなく、別のループ素材から音を持ってくることだってできます。
僕が音楽を始めたきっかけはBreakcoreというジャンルが好きで作りたいと思ったからなのですが、まさにこのジャンルはBreakbeatsの連続です。
様々な要素を既存のものから取り込み(サンプリングといいます)、つぎはぎを作るように音楽をつくる事が楽しくて。既存の音だけで作った音楽が、まるで新しい生き物のように生まれてくることが本当に楽しいのです。

そんなBreakbeatsという手法を、人生にも応用してみたくなったのです。
家にこもって音楽を作ったりボケっとするばかりの退屈な人生に、少しづつ、Breakbeatsを取り入れていくと少しづつ人生は変わってきました。

なんでもかんでも取り入れてめちゃくちゃにすることも楽しいですが、ある程度素材を選んでクールにビートを組むことも楽しかったり。うまくいく日と全くうまくいかない日があったりして、それでも日々成長しています。

そんな人生ブレイクコアみたいな状態になっちゃった大学生が、毎日更新するブログ、それがLife as Breakbeatsであります。

音楽はもちろん、旅、哲学、心理学、教育、表現、人間知・・・ほかにもたくさん、僕の好きなことをBreakbeatsのように組み合わせてツギハギのようにつなげていきます。好きなことは増えるかもしれないし、減るかもしれない。誰も予想できない僕という人間のライフログです。

これからも様々なことに挑戦し続けますので、楽しんでもらえたら幸いです。

よろしくお願いします。

2019年10月7日 18:27 やましょー

一番やりたかったことなのですが、全部の記事の最後に、ランダムに記事をピックアップしてくれる場所を追加しました。

Noteから着想を得ました。(ぱくりました)

やり方がちょっとめんどくさかったので、今度簡単にまとめてみようかな。

そしてカテゴリー分けをいまさらしっかり分けてみました。

ほぼほぼ日記ですが随想的な文章は随想に入れました。あと、創作物に関しては表現の親カテゴリに分類しました。

いまさらブログっぽくなってきましたね。

メニューも簡潔に。Youtubeを追加し、SNSリンクに関してはフォローボタンのみになりました。

これからもLife as Breakbeatsをどうぞよろしくお願いします。

 

トロッコ

一つの挑戦をする時、イベントの主催だったり、旅に出る事だったり、恋愛を始めるときなんか特にそうだが、まるでエンジンのないトロッコに乗り込んだような気分になる。

初めの方は基本下り坂で、時間が経つほどにスピードが上がっていく。
日常に変化が無くとも、スピードは加速度的に増え続ける。たまに上り坂に差し掛かってしまうこともある。
十分に加速していないと登りきれないこともある。

加速している時によく、なんの前触れもなく分かれ道に差し掛かる。
早すぎて、もはや分かれていたのかも気づけない事もある。
レバーを引けば右へ。押せば左へ進む。
早すぎるときは、もはや脳で考える余裕が無いほどに。

そうなると人は脊髄で反射する。
今までの経験上、成功失敗にかかわらず、より多く選択した行動を選択する。
熱いやかんを触った時に、無意識で手を離すように。

だから早すぎる時の判断は、いつも同じようにレールが消滅して大怪我を負う。
離れた後に痛みを理解して火傷に苦しむように。

昨日もまさに分かれ道に気づかずにいつも通りレバーを引いたことに、気づいた。あまりにも遅かったが。

私の脳みそは自動的に「あ、この先にレールがあった事はないから、いつも通りこのまま死ぬ」と思って、勝手にパニックを起こした。

しかし、どうしてか。
どれだけ泣いても道は続いてて、次第に緩やかになって行くようだった。

本当に良い人に出会ったと思って、結局涙が止まらなかった。

楽しみ方を知っている人

今日は集中講義だったが、あまりにも狭い価値観で洗脳してくるような圧迫感があって辛かった。

まあでも就職率を上げることが彼の任務で、それが家族を守る為の正義だから、何も責めることでもない。

やり場のない気持ちに、なんとなくため息を吐きながら家に帰った。

晩飯は祖父母の家に行った。

おばあちゃんはすごく元気でいつでも新しい事にチャレンジする、凄い人だ。

今日も面白くてちょっとエッチな万葉集の話をしてくれた。


僕はこれからの日本とか、AIの話とかをした。

GAFAは人が欲望を満たすメカニズムを使っているから大きくなっている事。魔法ではなく、統計学的に人の心理を分析してるだけだという話。

これからは芸術分野にもAIがでてきたりする。GAFAのやっていることこそまさにAIがしている事で、統計学的に、人が感動する物を作っているから人は感動する。

いや、そんなはずない。AIが作ったものに感動なんかするもんですか。そう思う人が大半だと思うが、実際の実験でこんな物がある。

AIが作った曲を「新人作曲家が作った」と言って聞かせると、人々はとても感動した。

しかし、AIが作ったと言ってその曲を聞かせると人々は激しい嫌悪感を示した。

これは人間が機械に負ける訳がないという強い無意識による反応だと思われる……などの説明が入るのだが、そもそもなんで勝ち負けに拘るのか。

勝ち負けにこだわってしまう原因はなにか?目的は?

芸術とは誰かの決めた物差しで評価して競うものだっただろうか。


AIがどれだけ頑張っても、絶対にできないことがある。

それは「その行為自体を楽しむ事」そして、「楽しみ方を態度で伝えること」

これができる人はこれからより顕著に豊かな人生になる。

おばあちゃんは正に「楽しみ方を知る人」で、それを人に伝え続ける人だった。

俺も、そんな風に生きる。